【フランス・音楽留学】フルートを頑張ったパリに10年ぶりに戻ってみた結果…
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フルート奏者の町井亜衣です。
私は、フランス・パリとスイス・ルガーノに合計約10年間住んでいました。
これを書いている今(2018年6月現在)、パリを離れて約10年、ルガーノを離れて約7年になります。
この5月に、日本に完全帰国して以来久しぶりにそれらの街を訪れました。
(スイスでのお話はこちらをご覧ください→ :現在更新中)
この旅の後半はパリに滞在しました。
この記事では20代のほとんどをパリで過ごしたフルート奏者が、10年ぶりにパリを訪れて何があったのかを書いていきます。
Contents
フランス・パリへ音楽留学時代のこと…
私は2004年にパリに到着しました。
私は、まったくコネも何もない状態でフランス・パリへ音楽留学しました。
フランス語もそこそこ勉強してはいきましたが、ネイティブとの会話となると緊張するし、なかなか友達もできませんでした。
そんな中、本当は英語のほうが喋れたけど、「英語はできない」と嘘をつき、なんでもフランス語を使って生活する努力は怠りませんでした。
(それでも、うまくいかなくて悔しくて泣いていたことは数知れず…)
そんな中、
日本語⇔フランス語の通訳ができるレベルにフランス語力がUPしたり、
フランスの音楽院の卒業&修了試験では最高評価をいただいたり、
国際コンクールで1位になったり、
プロとして演奏活動をしたり、
フランス人のフルートの生徒さんができたり、
家族ぐるみで仲良くできる友達ができたり、
外国人であることや言葉の壁などいろいろなことを乗り越えていけたと思います。
パリを離れて約10年になりますが、スイスにいる間も時々遊びに戻っていたので、本当に最後にパリの土地を離れてからは、7年ぶり…の滞在になりました。
音楽留学してたフランス・パリで嬉しい気持ちを実感!
フルートで音楽留学する先をフランスに選び、長く暮らしていたこともあって、パリに着いたらどんな気持ちになるのかあまり予想がついていませんでした。
スイスで楽しい時間を過ごしたくさんの経験と幸せな気持ちをもらって、スイスのMY心の家族に空港まで送ってもらい、パリに着いたのは5月18日の夜。タクシーで借りていたマンションまで移動しただけでその日は終わりました。
タクシー代、ちょっと値段上がったのかな?それとも旅行者として少し高めに言われたのかな?と思いましたが、フランス語で終始楽しい話をしながらだったのであっという間に目的地に着くことができたのでよしとします^^
翌日、日曜日だったこともあったので、朝早めにスーパーに行って食材を買おうと考えて出かけると…。
フランス・パリのスーパーには、懐かしくて大好きな食材がずらっと並んでいて♡
それだけでテンションはあがりました!
大好きなチーズがあれもこれも!日本ではすっごい高いエシレバターもたったの3ユーロ!
フルーツも安い!野菜も安いし懐かしの量り売り!!!
スーパーに行っただけでまるでディズニーランドに行ったような嬉しい気持ちになって(笑)なんかこれだけでもう私幸せかも~!と感じていました。
もう、特にいろいろしなくても私幸せだな!
来れるだけで、空気を感じられるだけでこんなに嬉しいんだ!
と感じていました。
そして、ルガーノに戻ったときも感じたのですが、もう10年も過ぎたなんてちっとも感じなくて、20代頑張ってきたことが昨日のことのように思い出されました。
日本で忙しくしているなかで忘れていたことを、街を歩けば歩くほど思い出していきました。
フランスへ音楽留学時代にフルートレッスンをしていた生徒さんに再会
日曜日の夜は、事前に連絡を取っていた方にお会いする日でした。
私はパリで音楽留学していたころ、フランス人のフルートの生徒さんが何人かいました。
そのうちの、生徒さんだけでなくご家族で仲良くさせていただいていた方たちがいました。
生徒さん(Cちゃんとしますね)は当時、7年もフルートを習っていたのに、スケールすらちゃんと吹けない状態でした。
話を聞くと、習っている先生がきちんとレッスンをしてくれていない様子。
そしてレッスンしてみると、センスがよく、見る見るうちに上達していきました。
どうしてこんなにセンスのある子にきちんとレッスンしてくれないんだろう?と疑問に思いましたね…。
卒業試験直10日前で駆け込み寺のようにやってきたCちゃんでしたが、なんと受験したうちCちゃん一人が合格するという結果を出してくれました。
CちゃんはSNSでつながっているので時々近況報告していて、彼女が今はパリにいないことを知っていました。
スイスのチューリッヒという街にいると聞いていて、パリへはなかなか遠い場所なので、会えないだろうなと思っていました。
なので、そのお母さまに久しぶりにメールをしてみました。
お母さまは、私がルガーノにいたころに日本で東日本大震災が起きたときにも、すぐにメールで私の家族の安否を気遣ってくださったり、パリで行われた震災へのチャリティーコンサートへ出向いてくれて寄付をしてくれたりと、素敵な心の持ち主です。
お母さまだけでもお会いしたいなと思っていたら、メールのお返事もすぐにくださり、会う約束ができていたのです。
ですが、前日に「娘も今パリに来ているから、私と一緒にあなたに会いにいきます」というメッセージが届きました。
会えると思っていなかったのですっごくうれしかったし、ルガーノの時に引き続き、遠くから私に会うために戻ってきてくれるみんなに感動していました。
10年ぶりにお会いするフルートの生徒さんとお母さま。
生徒さんが15歳~17歳のころ、フルートのレッスンをしていたのですが、それから10年なのでもう27歳。
素敵なお姉さんになっていましたが、当時のかわいらしさからいい意味で変わらない子でした。
お母さまも全然変わらない!かわいらしくてキュート♡
懐かしい話をしたり、この10年間のお互いのことを話したり…。
お母さまとお父様は結婚45周年という記念でもあったので、ご夫妻と生徒さんに日本からお土産をお持ちしました。
日本らしいもの、と思って、お箸のセットと扇子をプレゼント。
無理して使わなくていいですよ、日本の思い出、ということで^^とお渡しすると、「私たちもプレゼント持ってきたのよ!」と、パリの香水専門店のお土産をプレゼントしてくれました。
すっごいいい香りで、素敵な箱を開けただけで美しい香りが…。
Cちゃんが選んでくださったそうで、素敵な大人センスも育ったんだなぁ♡と感じました。
フランス離れて10年なのに、発音もフランス語も衰えてなくてすごい!と褒めていただき、まだまだフランス語頑張ろう、と思ったのでした。せっかく身に着けたものなので衰えさせたくないですね。
フランスへ音楽留学時代の通知表を見ている気分でした
こうやって、わざわざチューリッヒから会いに来てくれたフルートの生徒さんとそのお母さまとの再会で、私は音楽留学時代の自分の頑張ってきたことや成してきたことの通知表を見ている気分になりました。
約7年前、日本に完全帰国した時、実はそれまでのパリ・ルガーノでの10年間のすべてを捨ててしまったような、失ってしまったような感覚があったんです。
もちろん、経験してきたものは私の中に残っています。
けれど、日本の友達にはきっともう帰ってこない人と思われていて(長く海外生活していると、現地の方と結婚するのだと思われますw)当然いきなり仕事なんかもなくて、帰ってきたくて帰ってきたのに先が見えない日々が続いていました。
そして今回、ルガーノとパリへ数年ぶりに訪れてみると、私がすべてを「なくしてしまった」と感じていた私の時間…
20代を一生懸命費やしてきた私のすべての経験。
それらすべてが、「ちゃんとあった」ということを実感させてくれることの連続でした。
スーパーでテンションがあがったことも、そのうちの小さなポイントの一つでもありましたが、やはり、当時関わっていた人たちが、こうやって私のために時間をつくって会いに来てくれること。
フルートの生徒さんのCちゃんとそのお母さまの立場で言えば、当時Cちゃんは15歳でまだまだ子供で、パリにいるんだから、フランス人のフルートの先生なんていくらでも選べたはず。
それなのに、フランス語が少しおぼつかない、外国人の私を先生として選んでくれて、卒業試験合格という目的を達成した後も習い続けてくれた…。
当時のこともそうですし、今回のことも、20代のころの私の行いが10年経った今に反映されているのだと感じました。
たくさんの私の【通知表】が街中に落ちている感覚になったのです。
あの頃の私は、もちろん毎日頑張っていたつもりです。できることはマックスまでやっていたと思います。
それらのことが「本当に頑張れていたんだ」と確信を持つことができたのです。
フランス留学時代のフルートの先生に再会
私がパリへ音楽留学していた時にお世話になっていたフルートの先生にも再会しました。
フランス音楽留学初期にお世話になったフルートの先生
私がフランスに音楽留学で来たのは2004年のことですが、そこから4年間お世話になりました。
当時、来たばかりの私は、フランス語より英語のほうが流暢でした。
そして、フルートの先生(フィリップといいます)も、英語が堪能な方でした。
けれど、私は「英語はできません」と伝え、つたないフランス語で頑張ってくらいついていました。
それは、今の時点で楽に使える英語に甘んじてしまったら、ずっとフランス語ができるようにならないと思っていたから。
せっかくフランスに留学しているのに、フランス語ができるようにならないのでは本当に意味がないと思っていました。
フランス語ができるようになりたかったので、辞書を片手に毎日毎日頑張って話す機会をつくり、行動していました。
フィリップは、そんなつたないフランス語時代の私のときから、一生懸命指導して下さいました。
フルートのレッスン中でした
私がフィリップの家に尋ねた時は、フルートのレッスン中でした。
ちょうど5月6月というのは、フランスは試験シーズン。
ディプロムをかけた卒業試験前に来ている生徒さんのレッスンを少し聴かせてもらいました。
フルートの生徒さんに「僕の元生徒で日本で素晴らしい先生になっているんだよ!」と紹介してくれたので、緊張させてしまったのは申し訳なかったのですが、フィリップの音も久しぶりに聴けたし、楽しい聴講の時間になりました。
その後は一緒にランチに出掛け、積もる話を…。
私の生徒で、フランスに留学を希望していた生徒を一人、フィリップのところに送っていたので、私のフルートの生徒の話にもなったり、フィリップが新しく出版した楽譜のお話もしたり、これもまたとっても楽しい時間になりました。
フランスへの音楽留学は、人間性の成長に繋がっていた
音楽の勉強をしに、音楽留学をしていました。
けれど、何をしていてもつながることですが、それらの経験すべてが、私の人間性の成長に繋がっていたと実感しました。
20代のほとんどを日本で過ごさなかったことは、当然、日本にでずっと過ごしていたのとでは経験できることも異なりますし、人格や価値観も異なってくると思います。
異なる環境で、「外国人」として、「留学生」として過ごした日々は、10年経った今でも私の中にしっかりと、眼に見えない財産として残っていました。
フランス語も、今でも通訳やフルートのレッスンで使っているので(私のフルートレッスンには、フランス留学を検討する方が多くいらっしゃるので、フランス語でのレッスンも対応しています▶コチラから)そこまで衰えてはいないと思いましたが、会う方全員に発音も含め褒めていただいて、またちょっと自信を持つこともできました。
音楽留学時代には経験しなかったことにもチャレンジ
私がフランスへ音楽留学していた頃は、本当にフルートや音楽のこと以外に興味がなくて、せっかく素晴らしい環境にいても他の事にチャレンジしたことは少ないと思います。
もうちょっと色々なものに目をむけたらよかったなぁと思わなくもないのですが、何かに熱中しているときはそう言うものでもありますしね。
というわけで、今回は、音楽留学していた頃には経験しなかったことにもチャレンジしてみることにしました。
今回選んだのは、「香水のワークショップ」です。
理由は、「眼に見えないものの美学」が、音楽に通じると思ったからです。
ここは、YouTubeに動画編集してUPする予定です(できるかなぁ~。撮影はしてきてあります)ので、UPしたらまた更新しますね。
素晴らしい経験でした!
フルート演奏のお仕事もしてきました。
プライベートなご依頼だったので、どういったものだったかは公表できないのですが、フルート演奏のご依頼を受けていたことが今回のフランス滞在のきっかけでしたので、お仕事もちゃんとしてきました。
ついでに、といってはなんですが、宣材写真も新たに撮影していただき、素敵な写真が手元に増えたのも嬉しかったです。
今後、サイトの中などを更新する際に使っていこうと思います。
音楽留学時代の財産を再発掘する時間になった
今回のフランス滞在は、フルート演奏の仕事がきっかけで実現しました。
本当に長くいた場所だから、第二の故郷と思っていましたが、これまで「また行きたいな」と感じることがこれまで実はあまりありませんでした。
日本での生活が充実していることもあるし、長期間日本を離れることも難しい気がしていたのかもしれません。
けれど、今回いいきっかけをいただいて出かけてきた事で、沢山の発見をすることができましたし、日本では購入できない楽譜を手に入れてきたり、フルートの生徒さんたちに役立てられる情報も手に入れたり、素晴らしい時間を過ごすことができました。
また、定期的に足を運んで、私自身の向上はもちろん、門下生をもっと引き上げていくためにも、より洗練された情報を得ることは続けていこうと思います。
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