フランス音楽留学記 04-05年度の思い出
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こんにちは。フルート奏者の町井亜衣です。
私は、2004年に東京音大を卒業して、6月に1人でデビューリサイタルを行い、そののち、7月15日にフランス・パリへ渡りました。
フルートで、音楽留学をするためです。
「フランスでどんな生活や経験をされてきたのか知りたいです!」というお声を多く頂いていたので、ここで書いていきたいと思います。
Contents
まず、音楽留学を断念しそうになる。
音楽留学する方は「現在習っている先生の元先生」のところに行くことが多いようです。
フランスに留学を決めた時、実は私にはフランスにコネもつても何もありませんでした。
実は、アメリカに行くか、フランスに行くか、でも迷っていた時期があります。
アメリカには、私を呼んでくれている先生がいました。
彼のレッスンも非常に素晴らしく、アメリカの音楽大学に短期留学したこともありました。
ここだったら、先生もよくしてくれるし学校の対応もおかげで親切だし困ることはないんだろうな・・・。
そんな風に感じていたのですが…。
私は、コネもつてもなにもない、フランスを留学先に決めました。
留学手続きの準備をするのもとても大変で、それと同時にデビューリサイタルがあったので・・・。
あまりにも大変で、留学を諦めようかと思った瞬間もあったほどです。
初めてのリサイタルなので、不安と焦りととにかく余裕がなく、それに合わせて留学準備。
毎晩眠れなかったんです。
それでもなんとかがんばって、情報を集めて、留学に関することが前に進み始まって・・・。
そしてリサイタルを無事に行うことができてから、渡仏することができました。
ニース国際音楽アカデミーでベルノルドに師事
2004年の夏に渡仏したときに、最初に行ったのが南仏の、ニース国際音楽アカデミーでした。そのときにレッスンを受けたのが、こちら、フィリップ ベルノルド氏。
2014年の写真なので、私もベルノルドも若いですね・・・。
ベルノルド氏の演奏をこの時に初めて聴きましたが、私にとってはそれはそれは衝撃だったんです。
当時はフランス語もまだまだの状態でしたから、細かいことは理解できていなかったと思います。
フルートのレッスンは楽器で会話をすることができる部分も多いので(言葉が理解できた方が絶対にいいですよ!できなくてもOkとは誤解しないでくださいね!)
息のスピード、そのコントロール、お腹の支えの使い方、アンブッシュアの使い方など、それまでも学んでいたことだったけれど、深く理解することができたんです。
1週間の講習会でしたが、そのときにベルノルド氏が教えてくれたことや、ほかの生徒にアドバイスした言葉など、多くのことが私の演奏に影響を与えてくれました。
フランス生活を彼のレッスンで始めることができたのは、とてもよかったなと今でも思っています。
パリの自宅は、エッフェル塔の近くのタワーマンション
2004年にパリに引越しをしてから、最初のはエッフェル塔の近くに住んでいました。
エッフェル塔は、毎時00分から10分間、写真のようにボディーがキラキラ輝きます。
メトロ6番線で帰宅するときは、セーヌ川を渡る瞬間がその10分間にちょうど当たると、素敵な景色を見ることができてラッキーな時間でした。
住んでいるとそれが当たり前になって、感動も薄れていきましたが、日本から友人がパリに来てくれたときにそのタイミングにでくわすととても喜んでくれたので、私も嬉しかったものです。
この写真は2004年の12月頃。
この年のクリスマス~年末年始は、パリで友達と過ごしました。
今でも初めてのパリの冬の寒さ、空気のつーんとした感じなども肌で覚えています。
実際に経験をする、というのは大きな財産になるものだなと再確認させられます。
そういう経験が、人間的にも音楽的にも、間接的に磨いてくれているのだと思います
パリのディズニーランド
2004年のクリスマス直前、友達と一緒にパリのディズニーランドに行きました。
寒くてお天気も悪かったので、すいてるかなとは思いましたが、日本のディズニーランドでは考えられないほど空いてました。
わりかしミーハーな私ですが、子供達を差し置いてミッキーと写真は撮れなかったのです・・・
東京ディズニーランドが大好きなので、とっても楽しみに行ったのですが・・・。
ホスピタリティーが全然違うんだなぁ・・・と、がっかりした記憶と、途中から雨が降り出したので、雨に打たれながら列にならび、帰宅する頃には高熱の風邪をひくという展開でした・・・
フランス行ってから初めてか2回目かの風邪でした。
あ、でも、実はこの数年後に再度来園したのですが、その時はものすごく楽しかったのです。
この日が天気が悪かったとか寒かったとか、そしてしまいには高熱を出したとか・・・。
そういうことが重なって、なんとなく楽しくない思い出としてイコールになってしまっただけで・・・。パリのディズニーランドが悪いわけではないです!
でも、今思えばそんなハプニングも含めて全て、経験の血となり肉となっているのです!!
この数日後のクリスマスには友達と集まって、ちゃんと鳥の丸焼きをいただいて、それからチーズフォンデュをしました。
こうやって友達と励ましあいながら、時には楽しみながら、留学生活1年目の冬休みを過ごしました。
世界遺産 モンサンミッシェル
2004年にフランスに渡って、初めての年越しを迎え、1月下旬に、大学時代の親友が遊びに来てくれました。
初めてのお友達の来仏に、テンションあがった記憶があります。
私のフルートの中間試験があって、それにつきそってもらって譜めくりまでしてもらったような・・・(笑)
そんな中、モンサンミッシェルに行ってふわふわのオムレツが食べたいということになりました。
色々調べると、自力でTGVで行くよりもバスツアーで行くほうが安いことがわかり・・・。
そう、フランスの新幹線「TGV」は、早めに席を予約すれば安いのですが、日程ギリギリになると値段があがるのです。
なので、日系のバスツアーに一緒に参加してきました。
前日が豪雪だったので、ツアー大丈夫かな?と思いましたが、私たちが予約した会社は決行してくれました。
他の多くの会社が中止になったので、おかげさまでモンサンミッシェルに着いてから、街の中も館内も空いていたのでラッキーだったんです♪
こちらがモンサンミッシェルの周りの、満潮になると海になってしまうエリアです。
あちら側の陸地に車では渡れなくなるんだそうです。
そして、ふわふわのオムレツ。
これ、本当にお腹にたまらない!(笑)観光前に食べたのですが、そのあともお腹空いてました・・・
こうやって日本から友達が来てくれると、「住んでるからいつでも行ける」と思ってしまう場所に一緒にいくことができるので、私にとってもとてもラッキーでした。
実は、あれだけ長く住んでいて、モンサンミッシェルに行ったのはこの一度きりとなってしまったのです。
逆に、1年や2年の留学の子のほうが、積極的に出かけていくものなのかもしれませんね。
フランスの音楽院のシステムに慣れるために。
日本から遊びに来てくれたお友達が、譜めくりを兼ねて演奏を聴きに来てくれたときに撮影してくれた私がお世話になったサンモール音楽院のホールです。
これまで、渡仏してから「お出かけ」した場所の話ばかりでしたが、ちょっと学校の事を書いていこうかと思います。
このホールに置いてあるのは、ベーゼンドルファーのフルコンピアノ。なかなかいい楽器が置いてあります。
座席数は・・・忘れてしまいましたが、それなりの広さがあります。パイプオルガンもついているのですよね。
ちょっと響きは少なめで演奏する方としてはシビアなホールです。
シビアですが、勉強をする身として考えれば、シビアな場所で慣れておくことも大切なことの一つであったと思います。
こちらのホールでは、ソロ、アンサンブル、オーケストラと、沢山演奏させていただいたし、勉強させてもらいました。
特に、ソロ演奏では、最低でも月に1回は、演奏会や勉強会に参加させてもらっていました。
月に1・2曲ペースで仕上げていくペースです。
フランスは、「初見力」にものすごく価値を置いている国だと思います。
そして、短い期限内に仕上げるということにも重きを置いています。
それはとても実践的ですよね。
学生時代は、ゆっくり練習する時間をとることができます。
実際に社会人になって活動するようになったなら、その能力は必須ですし、出来なければ仕事にならない。
その能力を高めるために「学校の授業のシステム」の中にそれが組み込まれている、というのが、やはり日本とは違うなぁと感じたものです。
留学最初の1年目は、このペースに「慣れる」こと、新しいシステムややり方、そして新しい言葉、生活に「慣れる」ことにとても必死になっていました。
こちら、光るエッフェル塔。
友人が観光中に間近で撮影してくれたものです
初見力をつけること
写真は、ロダン美術館の「考える人」です。
私がサンモール時代にお世話になったフィリップ レスグルグ氏のフルートクラスは、毎月1回勉強会をしています。
ちゃんとメインホールを使って演奏させてもらえるので、この機会はとても貴重でした。
留学して1年目すぐの12月に、フランスのコンクールを受けて賞をいただきました。
そのときの曲が、ジョリヴェのリノスの歌でした。
なので、その直前の勉強会ではリノスの歌を演奏。
そのひと月前の11月は、確か取り組んで2週間のエチュードを演奏した気がします。
年が明けて1月下旬にあった中間試験では、既に東京音大時代に演奏したことがあった作品のプロコフィエフのフルートソナタを、また演奏したいなぁと思っていました。
プロコフィエフのフルートソナタという大作は、勉強しがいがあり、フルーティストとしては必須のレパートリーの一つ。
そして大好きな作品の一つです。
この試験当日、集合時間がなかなか早くて、朝早い時間には家で音を出すことができず、かといって学校が開く時間に行っても試験時間まで30分しかない~~というスケジュールでした。
今となっては、30分しか音だし時間がないというのも大丈夫ですが、当時は、「本番の前には2時間くらいは音を出したい」と考えていたので、「非常に過酷だ~~」と感じた記憶があります。
そんな試験や勉強会で演奏する作品も、だいたい本番4週間前くらいに決まります。
当時の自分にとっては、レパートリーも増やしていく時期でしたし、3週間でまとめて、残り1週間でピアノ合わせをする、というペースがなかなかハードに感じたものでした。
こうやって思い返してみると、そうか、エチュードも2週間で仕上げるというのが大変だったのか、1曲本番にもっていくのに1ヶ月という期間も短く感じていたのか、と記事を書きながら自分自身の成長に気づくことができました!
初見法のレッスン
フランスでは初見にとても価値をおいていると書きました。
数日前に、フランスでは初見にとても価値をおいていると書きました。
(↑どこだったか定かではないのですが2005年冬に訪れたパリ郊外の教会のステンドグラスです。)
フランスのピアノ伴奏の専門コースでは、圧倒的に初見能力を求められます。
入試も卒業試験も、過酷な初見課題が出されています。
学校の授業としてフルートの学生に求められる初見の能力はピアノ伴奏コースと比較するのが申し訳ないくらいの量しかありません。
そうはいっても、なかなか大変ではありました…
私がお世話になった、初見法のフランソワ シモン先生の授業は、リズムや拍子が変わるオリジナルの課題に取り組んだり、初見で友達とデュオをやったりしました。
初年度は要領を得ないし、そこまで初見もできなかったので、たった30分のレッスンすら、悪戦苦闘、汗ダラダラでした。
それから移調の初見練習があり、これも冷や汗もの。
移調も慣れてくるとなんてことなくなるのですが、やはり始めたばかりの頃はスラスラ楽譜が読めなくてイライラしていましたね…
どんなものであっても、始めたばかりの初心者の頃というのは、要領を得ない、分からない、出来ない…と、ストレスを感じるものです。
しかし、忍耐強い先生と共に勉強して、途中から初見が好きになって来ましたよ!
在学中後半は、単位としてはもう必要ないのに先生の授業をとっていたくらいです。
一定のところまで能力をつけたら、自転車をしばらく乗っていなくても乗れるように、その能力が消えてしまうことは無いけれど、それでも磨くことを辞めてしまったら、そこからは衰退しかありません。
今でも日々勉強、訓練の積み重ねています。
ドビュッシー美術館;サンジェルマンアンレイ
2005年の2月下旬頃に、パリ郊外の「サンジェルマンアンレイ」という街にあるドビュッシー美術館に出かけました。
公式サイト(英)はこちら。日本語PDFもクリックで開けるようです。
ドビュッシーは親日家で有名ですが、美術館にも「海」の日本がが展示されていました。
葛飾北斎の「海」の絵が、ドビュッシー「海」のスコアの表紙に使われたそうです。
ご存命中のドビュッシーの身の回りの小物や手紙など・・・。
フルーティストにとってドビュッシーと言えば、やっぱり避けては通れないレパートリー「シリンクス」を挙げることができます。
作品のストーリーなどはネットで検索すればいくらでも出てきます。
作品の長さとしては短いけれども,、ズムや多彩な音色のコントロールに愛するものへの愛の歌だけれども、少しだけ偏ったそれも、まっすぐな純愛とは異なったものだとおもうので、音楽的にはマチュアであることが求められると思います。
実は、デビューリサイタルに、このシリンクスと、ピアノソロの「亜麻色の髪の乙女」をフルートピアノにアレンジしたドビュッシー作品を2曲プログラムに入れました。
亜麻色の髪の乙女は、すでに出版された楽譜も沢山あるのですが、フルートの音域の関係で、半音高い調に転調されているものばかりだったので、オリジナルの調でフルートとピアノでも演奏できるように、アレンジし直して、石橋尚子さんに一緒に演奏していただきました。
偶然にも、ピアノの友達と色々な話をしていたら、この、ドビュッシーの亜麻色の髪の乙女の話になって。
ちょうどこの記事を書こうとしていたので、すごいタイミングだな~と思ったり・・・。
亜麻色の髪の乙女も、作品としては小品ですが、美しい和声構成、ピアノソロなのに単旋律のメロディーで始まる作品であることもとてもシビア・・・。
そして、ドビュッシー独特の多彩な和声感が、本当に美しい作品です。
ドビュッシーは精神病で息を引き取りますが、数多くの美しい作品を残してくれました。
ラヴェルと共に印象主義音楽の先駆けとなり、「現代音楽の父」とも呼ばれたそうですが、現在の「現代音楽」の印象とは違いますね。
当時としてはとても前衛的な作風だったのでしょう。
このドビュッシーの美術館に来たときも、作曲家たちが生きていた時代を少しでも知ることができて、それまでよりもちょっとだけ、理解が深まって、近く感じることができたかな、と・・・。思っています。
パリ観光;サクレクール寺院 モンマルトル
2005年の3月に、また別の友達がパリに遊びに来てくれました。
この友人がパリに来た時はかなりの豪雪で、飛行機がかなり遅れたことを思い出しました。
それでもなんとか辿り着き、食べ歩きをしたり、ラデュレ本店で130ユーロ分のマカロンを買ったり(友人が。)少し前に流行った映画、「アメリ」の撮影の跡地巡りの為にモンマルトル散策をしたり、
↑ サクレクール寺院。
↑ モンマルトル散策中
朝の爽やかなお天気の時のエッフェル塔を6番線から見たり
ベルサイユ宮殿、美術館、それからパリ管弦楽団のコンサートを聴きに行ったり、パリのエルメス店に初めて入ったりしました。
パリといえば!名物、ストライキ
この期間の凄かったことは、フランスならでは、な、トラブルに沢山出会った事です。
ベルサイユ宮殿に行った時は、電車の窓口で長距離のチケットを買おうとした瞬間に窓口のストライキが始まってさらにその瞬間にチケット自販機すらスイッチオフで友人の分が買えなかったり、
帰国日にまたメトロ(ratpとsncf)のストライキが始まってしまいエルメスに行くことに手こずった後、空港にも電車かバスでは行けなくなったり…。
行きたかったコンサート中止や美術館が閉鎖などはなく、結局ベルサイユ宮殿も行けたし、エルメスでお買い物もできたし、空港にも無事つけたのでよかったんですが。
見送った後のパリへの帰り道。バスが動いている様子だっので、乗ろうとしたら…。
これがかなりの間違いで。結局40分くらいのところ、3時間かかり…。
その後にピアノ合わせを予定していたけれど遅刻した挙句にぐったりして到着。
お茶を出してもらって、ふーっと一息ついてから合わせをさせてもらったのでした。
不思議なもので、観光して楽しかったりパリ管弦楽団のコンサートが素晴らしかったり、友達にも帰り際に「亜衣さんホテルは、五つ星ホテル以上に居心地がよかったよ!」と言ってもらったりしてかなり楽しかったにもかかわらず、ついつい話題に出てしまうのはそういう「おフランスならでは」な事だったりするのです。
ストライキは、確かに生活している側としてはとても困るし、数日間しかいられない観光客のみなさんにとってももどかしいものだとは思いますが、日本では体験できないことを体験しているのだなと思うと、それはそれでとても貴重な経験になりますよね!
山手線が、「ただいま1分遅れております」とアナウンスが入って謝罪することに数年後驚くことになるのです。
日本って、本当に便利な国だなと思うのです。そして、細かいなぁ…とも。
ヴェルサイユ宮殿
ヴェルサイユ宮殿へ行った時の話を少し・・・。
お昼過ぎにヴェルサイユへ行くことにしていたこの日。
駅の窓口で電車のチケットを買おうとすると(フランスは自動販売機で買うとお釣りが出ないとかちゃんと発券されないなどのトラブルが普通に起こるのです。今はだいぶマシになりましたけど。)
目の前で窓口が締まる・・・!
シャッターを下ろされてしまったのです。
ストライキが突然始まったのかな・・・?
自動販売機の機械すらスイッチオフに。
仕方がなく別手段でなんとか電車に乗ることができました。
「世界の車窓から!」とか言いながら撮った車内の写真・・・。
大雪の名残がまだまだ外には残っていましたが、無事ヴェルサイユ宮殿の中に入ることができました。
長い間閉鎖されていた「鏡の間」にも入れました。
お友達をパチリ。
宮殿の中は、当時の王宮の生活を知ることができる展示が沢山あり、絵画なども飾られていて単純に美術品としても美しいものでした。
ヴェルサイユ宮殿のお庭もすばらしいということで、観にいこうとしました。
地図を見ています。
が!
この雪まみれのお庭!!!!見学は断念せざるをえませんでした。
実はこの3月、友人がパリに遊びに来てくれた後私は3週間ばかり日本に一時帰国します。
そこで、私のフルートの転機がまた訪れるのです。
「京都フランス音楽アカデミー」受講。「本当の本気」
2004年にフランスに渡ったというのに、2005年の京都で行われた「京都フランス音楽アカデミー」受講するために日本に一時帰国したのです。
周りからは賛否両論でした。せっかくフランスにいるのになんで日本に?とか。
当時は、こちら、フィリップ ベルノルド氏は夏のニース国際音楽アカデミーとこの京都フランス音楽アカデミーでしかセミナー講師をしていなかったため、せっかくの受講チャンスだったので受けに行きました。
セミナー中はもちろん日仏通訳さんがいらっしゃいますが、私自身はベルノルドに初めて会った2004年夏のニースの時よりもフランス語もできるようになっていたので、前よりも彼の言っていることが、彼の言葉で理解できたことがとてもよかったです。
このお部屋で10日間みんなで一緒に学びました。
今も変わらずなのかどうかはわかりませんが、すくなくとも当時の彼のセミナー期間とういうのは毎朝全員を集めて30分ほど基礎的なことを話す合同レッスンの時間があります。
その他にも基礎の説明の時間をしっかりとってくれた日がありました。
ニースの時にも同じことを話していたのですが、ニースはたったの1週間だったうえに、自分もまだまだフランス語の理解不足。
この時は10日間ほどある上に、毎朝30分以外にも基礎のための時間があり、自分のフランス語も上達している上にわからないときは通訳さんがいるという恵まれた環境。
この時に彼は「僕はみんなに全て隠さずに伝える」と言いました。
それから、毎日どんな基礎練習をするべきなのか、そのテキストやエチュードをどのように使うのか。
色々なアイデアを沢山教えてくれました。
この講習会中に必死でメモった色んな曲のレッスンの内容ももちろんですが、基礎練習についてのメモが、私のフルートの練習の取り組み方に大きな影響と変化を与えるものになりました。
「この基礎練習を、正しく、きちんと本気で120%で毎日とりくんだら、半年後には全ての問題がクリアになって別人になっているだろう」と言いました。
私はそれから半年後という期間を決め、本気で取り組みました。
これまでも、練習は本気でやってきていたつもりだったし、手を抜いていたつもりはありません。
でも、「本当の本気」っていうのは、まったく別のものなんだということを知り、だからこそ、自分の現在の状態というのも理解できたし受け入れることも、少しはできたと思います。
それまでも、捨てていたつもりだったけれどもこのタイミングで「いらないプライド」を捨てました。
実は、この3月から、次の日本帰国になる8月まで、約4~5ヶ月の間、この練習を必死でやりました。
もちろん、だるい日もありました。めげちゃう日もありました。
でも、続けていったら、2005年の8月24日に東京で行った2回目のソロリサイタルで、以前から私を知る人には「まったく別人になった!」「楽器買い換えたの?全然音が変わった!」「たった1年でこんなに変わるものなんだ!」と、嬉しい声を沢山いただくこととなるのです。
そして「すごく変わったけど、亜衣ちゃんらしさは変わらないね。」とも。
私の個性は無くならない。
けど、全てはグレードアップさせる事ができた。
あの時のベルノルドが教えてくれたこと、そして彼のいう「本気で音を出す」ということ、それらが導いてくれたものでした。
それからもずっとその基礎練習のベーシックは私に影響を与えていますし、今でも続けています。
あの半年間だけ頑張ったら終わり、というものではなく、当然ですが磨き続けなければいけない。
でも、その期間に本気で集中したことは大きな財産になりました。
目標のタイムリミットを設けて、そこに集中してやってみる。
その重要性を感じることができた経験にもなりました。
一緒にレッスンをうけたみんなと。
もしかしたら全員は映っていないかもそれないけれど・・・。
懐かしい顔が沢山です!
フランスの「滞在許可証 Carte de sejour」
2005年の3月に、京都フランス音楽アカデミーを受講して、桜を堪能してからパリに戻りました。
それから、どうやら私は既に来年度の滞在許可証の心配をし始めていたようです。
外国人として暮らす以上、滞在許可証、もしくはビザを持たなければいけません。
国によって、それをどのような名称で呼ぶかさまざまですが、フランスでは「滞在許可証 Carte de sejour」という名前で呼びます。
今は少しシステムが変わっていますが、当時は学生の場合、在日フランス大使館に「長期学生ビザ」を申請し受理されると、3ヶ月間有効のビザが貰えて、フランスに入国からビザが切れるまでの間の
できるだけ早いうちに「滞在許可証」への書き換えをすることになっていました。
その「学生滞在許可証」が、有効期限が最長で1年。毎年更新をし続けていくのです。
私の場合は7月15日にフランス入国だったので、翌年の7月14日が有効期限。
有効期限の切れる3か月前から申請の予約ができるので、それで4月半ばは初めての滞在許可証の延長手続きにもやもやしていたようです。
ちゃんと受理されないと日本に一時帰国できなくなっちゃうし、不法滞在だけはしたくないし・・・。と。
その後何度も更新をしてみると、ビザセクションが混み合うのは9月から12月の間だということがわかって、私が申請する7月というのはガラガラなのです。
そこまでやきもきすることなかったことが後からわかりますが、初回はなんでもドキドキするものですよね。
私がフランスに滞在中に、滞在許可証を申請したときの窓口担当の方は、みなさん親切で特に嫌なこともされませんでした。
待ち時間も5分とかでスムーズなことも。
でも、同じ日本人でも手こずったり、別の国籍のお友達の話でも色々すごい話を聞いたりしました。
指定された書類が揃っていてもスムーズにいかなかったり・・・。
それもフランスかな・・・。
柔軟性と、ちょっとしたことでイライラしない術を身につけていったように思います^^
こちらはパリのクレープ屋さんの店内
ジヴェルニー;モネの家
フランスの学生には、まるまる2ヶ月半ほどの夏休みの他に1ヶ月半ごとに2週間の短いヴァカンスがあります。
9月半ばくらいから新学期がぼちぼち始まって、10月末から11月頭の2週間。
クリスマスあたりから年明けまでの2週間。
そして2月下旬から3月頭の2週間に、
4月下旬から5月上旬にかけての2週間。
最後のヴァカンスが終わると年度末試験にむけて本格的にピリピリ&ハードになります。
休みが沢山・・・!
留学初年度の2005年の4月下旬のヴァカンスは、お友達の引越しのお手伝いをして、私には「あらいぐま」というあだ名が一瞬ついていました。
あらゆるところを洗って綺麗にしたかったのです。(ちなみに、潔癖症ではありません。)
その後、寒い寒い冬が明けたヴァカンスだったので、友人の一泊二日の旅行にでかけました。
春から夏の期間しか空いていないジヴェルニーにある「モネの家」へ。
モネの家の庭を観たらあれだけの睡蓮の絵を書いた理由がわかった気がしました。
モネも、ドビュッシー同様親日家の方です。それも家から伝わってきましたし・・・。
芸術や文化に限った事ではないけれども、こんなに前の人とも何かを通じ合えるっていうのは、本当に素晴らしいことだなと思っています。
野原にゴロンとなって、ちょっとお昼寝・・・。
そんな経験も本当に貴重でした。
ジャンヌ・ダルクの聖地、ルーアン
それから、ルーアンという街へ移動しました。
宿泊したホテルはルーアンのノートルダム大聖堂が窓から見える最高の立地。
夜の大聖堂の姿は圧巻で威厳があって圧倒的でした。
うまく表現できる言葉がなく、申し訳ない・・・。
あまりの美しさに、夜は友達と一緒に夜の散歩へ出ました。
翌朝、ルーアンで有名な「ジャンヌ・ダルク」の教会へ。
昨夜見た大聖堂は、日中でも圧倒的な美しさ。
パリは、住んで歩いているだけで文化的なものにぶつかる。
そんな街ですが、この時の旅行はパリに住んでいても当時の私にとっては非常に「非日常」でした。
私は今、演奏会に来て私とともに時間を過ごしてもらうお客様を「非日常」の世界にお連れしたいと常に思っています。
それは、「コンサート会場に行く」というだけではなくて、私の演奏で、今までの経験のない世界を創ってそこに引き込んで、日常を忘れていただく。
演奏が終わった時には、笑顔で元気いっぱいになってほしい。
私と関わってくれた人を幸せにしたいという想いが詰まっています。
そんな「非日常」を沢山経験してきたから、それを少しでも私ができるカタチでお届けしたい。
私の演奏をする理由であり、ミッションは、こんなところからも産まれてきたのです。
パリ・ラジオフランス オーケストラの指揮者コンクール2005
2005年の5月上旬、パリ ラジオフランスのオーケストラ(主席指揮者・チョン ミョンフン)の若手指揮者のコンクールがありました。
プログラムはドボルザークの8番とブラームスの1番。
いいプログラムだったこともあり出かけたのです。
オーケストラはもちろんラジオフランス。
演奏者はオーケストラ団員ではない人もいました。
パリ管弦楽団のフルートのヴァンサン・リュカとオーボエのカペツァリのデュオを聴けたというラッキーな日でした。
審査のほうですが。
最終選考に残ったのは1人。
よくみると・・・1981年生まれ。
同い年で、しかも指揮でこんなところの最終選考に残るなんて・・・
凄いなーと思った記憶があります。
(↑リヨンのとある場所1)
(↑リヨンのとある場所2)
演奏のほうですが、すっごく音楽的な指揮。
音楽にも個性があって私はすごく好印象をもちました。
もちろん指揮者の試験なので、演奏の後リハーサル審査。
1時間の審査、演奏のあと審査結果。
彼は合格しました~!
同い年ということもあってすっごく刺激を受けました。
(↑パリの夕方)
工藤重典先生と武満徹氏
パリ渡ってから最初の1年間、世界的フルーティスト工藤重典先生のレッスンも受けていました。
(ちょっと時系列が前後してしまいますが、写真は2006年2月にパリのサル・コルトーで行われた演奏会と、終演後に撮らせていただいたものです。↓)
先生がレッスンで言ってくださった大切なアドバイスや間近で演奏して聴かせてくれた音は、今でも耳に残っています。
実は、先生はギャグをたくさんおっしゃるのですが、レッスン中でもそれはたくさんありまして。今でも笑えますよ。
先生、凄いな・・・!
ギャグのお話が書きたいわけではなくて!
工藤先生に初めてお会いしたのは、2002年の夏でした。
私は大学3年生で、ロームミュージックファンデーションの夏期講習会があったのです。
フルートの講師で工藤先生がいらしていて、他に、オーボエ・クラリネット・ファゴット・ホルンの先生がいらして、楽器のレッスン以外に、木管五重奏も一緒に学べる講習会でした。
木管五重奏も、色々な人と組めるのが楽しみでとても充実した講習会でしたね。
確か、10日間くらい?1週間だったかな・・・。
実は、この講習会のクラスのピアニストが、初めてのリサイタル、そして2014年のデビュー10周年記念リサイタルでも共演していただいたピアニスとの石橋尚子さんで、ここで知り合うのです。
長いお付き合いになるんだなぁ・・・。
ロームミュージックファンデーションのこの夏期講習会中、工藤先生の自分が受けたレッスンも、ほかの受講生のレッスンを聴講したときも、衝撃と発見と学びの連続でした。
先生の偉大さ、凄さ、言葉にするのが難しいですが、そんなものを感じました。
レッスンの時間以外にも、この講習会中は同じ建物の中で朝から夜まで過ごすので食事の時にもご一緒させていただける時間がありましたが、そんな時の先生方の立ち居振る舞い、食事のとり方、健康管理の仕方など、色々なことを学ばせていただいたと思います。
それからパリで学ばせていただけたこと、特に特に印象に残っているのが、武満徹氏の作品のレッスンです。
「巡り」を見ていただきました。2005年のリサイタルでも演奏させていただいた作品です。
工藤先生のレッスンは、先生自身の武満への想いの強さはもちろん、作品への思いの強さ、そして日本人としての誇りのようなものも感じました。
工藤先生が、レッスンの中で「彼が世界的に認められ、東洋と西洋の融合に成功した最初の人であり、最初の作品である、といっても過言ではない」というようなことをおっしゃった、武満氏の「November Steps」
この作品を、工藤先生が演奏しているサイトウキネンオーケストラのCDで当時聴いたのですが、先生のおっしゃっている意味が当時の私なりによくわかった記憶があります。
その後もレッスンや演奏会でも、多くのことを見せてくださっている先生です。
リヨン国立高等音楽院でベルノルドのレッスンを聴講する
2005年、4月に日本からパリに戻ってから、フルートの試験があって、まぁ、それは逆にいつものことという部分ですが、初めて受ける試験のソルフェージュのアナリーゼ課題やコモンテール課題でフランス語に四苦八苦したり初見法の試験であたふたしたりしていました。
色々終わった頃に、プロの皆さんと一緒にレコーディングの仕事が舞い込んだり、ファゴットの試験のお手伝いで本番が増えたり、その共演者二人が共通言語がなかったため英語とフランス語で通訳したり・・・。
フランスの図書館にハマっていて、CDを借りまくっていたり、リヨンに日帰りで出かけてきたり、なかなかの充実した日々を送っていたようです。
写真は、その時のリヨンの街の色々。
すごくいい季節でお天気もよかったので緑が綺麗な写真がたくさんとれました。
でも、建物が大きすぎて全然カメラに収められなかったり、ぶれてたり、撮影能力の低さが露見してます・・・^^;
この旅は、観光がメインだったわけではなくて、京都フランス音楽アカデミーでもお世話になったベルノルド氏のレッスン聴講に出かけていたのです。
リヨン国立高等音楽院の生徒さんはみなさん上手だけど、得に上手な生徒さんのレッスンを聴講させてもらって、勉強にもなったし、また別の見方をすることができたのが収穫でした。
それから、実は、リヨン音楽院(高等音楽院じゃない方の)でランチコンサートがあることを知っていたので、行きたかったのだけれど迷子になって行けず。
なので、美味しいご飯と観光に切り替えたのでした。
リヨンもとても美しい街で、今でも大好きです。
2度目のニース国際音楽アカデミー2005
2005年の8月。再度ニース国際音楽アカデミーに行きました。この時はベルノルドの講習会は3回目。ニースは2回目でした。
ニース、大好きな街の一つです。食べ物、やっぱり魚介がすっごい美味しいし、ニースの海が最高に好きです。
このニースの講習会では、ジュリアン ボーディモン氏もアシスタンドでいてくれて、それぞれ2回ずつレッスンを受けられます。
この講習会は、私にとってはそうとうハードでした。
というのは、私は1受講生なんだけれども、日本から来ていた4,5人の日本人の子たちのレッスンを通訳することになったのです。
今となってはすごくいい経験になったと思いますが、渦中の私にはなかなかハードなスケジュールでした。
ちょっと通訳するというよりも、ガッツリ通訳です。
通訳していいところは、自分もすごい勉強になるところ。
先生との距離がより縮まるところ。
自分の語学の勉強にもなるというところ。
色々あります。
でも、時間も体力もそうとう取られます。
当時の私は、通訳に慣れているわけじゃないから余計です。
自分がフランス語-フランス語で喋ってるのと違って日本語に変換しなきゃいけないし、フランス語でダイレクトに理解している言葉が日本語にしたらなににしっくりいくのか、っていうのが分かるかどうかは、フランス語で会話ができるかどうかとまた違った能力だと、非常に痛感しました。
日本語をフランス語にするのも、自分が喋ってる時はフランス語で考えて喋っていて、脳内で日⇒仏訳してるわけじゃないので、これもまたちょっと違う能力なんですよね。
私もちょっと休憩したい。
私も自分の練習したい。
練習のエネルギーとっておきたいから通訳したくない・・・。
そんな時もありました。
だって、私通訳者として仕事してるわけじゃないのに・・・!って。
疲れて、拗ねて、練習時間もうまくとれなくて、レッスンでもうまく吹けなくて悔しい思いをして、泣いてしまったこともあります。
という、お恥ずかしい過去が・・・。
でも、この経験はとっても貴重なものとなりました。
先生との信頼関係などももちろんですが、これからの人生の中で、仕事をするようになっていけば、人と関わることも増えていくわけで、自分のための練習時間が思うようにとれないことだってある。
常にベストの環境でいられるとは限らない。
そんな中でのエネルギーの使い方、自分に出来ることと出来ないことを理解すること、時間という量ではなくて、質をあげることを意識すること、そういう思うようにいかない環境でもプロとしてちゃんと演奏することのできる技術とメンタルの強さが必要だということ。
わかってたつもりのことを、ものすごく体感した出来事でした。
この出来事は、たまたま通訳ということだったけれど、多くのことを教えてくれて、よろよろになりながらも立ち向かった経験は、今の私の一部になってくれました。
そして、このニース滞在中に日本からニースへ観光に来ていたお友達がいて、何度か一緒に海に行ったり食事に行ったり、コンサートを聴きにいったりもしました。
たくさんもやもやして、泣きそうになって、悔しい思いもしたけれど、私を育ててくれた、やっぱり、すごくいい思い出です。
東京でフルートリサイタル開催(2005年)
2005年に、日本で1年ぶりにリサイタルをさせていただきました。
この時使ってもらったカメラが、手ブレ防止機能がついているのにぶれるという悲しい事態がおきていまして。
写真は、ブレブレです。
この時は、昨年のリサイタルに御来聴いただいたみなさまに、お礼とご報告がしたい、という発想から企画しました。
初めてリサイタルさせていただいたときは、そういうコンセプトとかもうまく定まってなかったので、1年でも成長していたのだなと、改めて感じました。
前半のプログラムでは、曲間に、作品についての説明を加えながら進めさせて頂きました。
後半は普通のコンサート形式で、演奏させていただきました。
みなさまの暖かい拍手・表情に、演奏の最中も励まされていました。
終演後にお声をかけてくださった皆様がいて、アンケートを書いてくださったみなさまがいて。とても嬉しかったです。
***
次は2005年~2006年をUPしますね!お楽しみに♪
●町井亜衣音楽レター
「きみ初心者?」と言われるような状態から、17歳という遅いスタートで音楽の道を目指し、現在は大好きなフルートと音楽に囲まれて生きています。今回、あなたにそのストーリーを特別に公開します。
フルーティスト 町井亜衣
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